理解する必要も、理解される必要もない


人の情動を理解することはひじょうに難しい。
感情の発動は、しばしば当人ですらその明確な動機や原因を理解できず、ましてや、言語化できない繊細な心の揺らぎは、無限に存在する。

 

したがって、例えば、人が人を好きになるのに、他人の理解は必要ない。

 

好意や愛情は、合理や説明を超えたものであり、それは「なぜ好きなのか」という問いを必要としない。

 

理解されなくても、人は人を想う。
その不可解さこそが、人間らしさであり、
情動とは、論理よりも生の深部から湧き上がる衝動なのだ。

 

よく、「何でそう思うの?何でそういうことができるの?あなたのことが理解できない!」という言葉を、相手を責める意味合いで発することがあるけれど、それは自分の自我の延長線上に相手の自我があるという錯覚から起きている。

 

誰もが自分と同じように感じ考えるべき(それが当然である)、という自分と他人の線引きができない未熟な思い込みだ。

 

人には、他人の情動やそれに基づく行為を、正確に理解できる能力はなく、経験や知識を駆使して推測ができる程度。それさえも見当違いのことが多い

 

感情に共感はできるが、理解をする必要はない。

 

「何でそう思うの? 何故そういうことをするの? あなたのことが理解できない!」

それには「当然だ、あなたは私ではないのだから」と応えるしかない。

 

「理解できないけれど、そういう人なのだ」ということを受け入れることができると、かなり楽になる。お互いにね ♪